高専ロボコンの思い出 ①
私が高専時代を過ごした2013年~2018年における、高専ロボコンの思い出です。
高専ロボコンは私の青春のすべてを捧げたと言っても過言ではないので、記憶がまだ残ってるうちに記録しておこうと思いました。
とりあえず一年目から順に書こうと思います。
なぜロボコンをやることになったか
ロボコンに参加するにはロボット部に所属する必要があったんですが、正直、私はロボコンに興味は全く無くて、高専ではバレー部かテニス部に入ろうと思ってました。
テニスは中学校でテニス部に所属していたので、そのまま継続していくか、それとも興味があったバレーボールを始めてみるか。
この二択でかなり真剣に悩んでました。
そこで、私は母親にメールで相談してみたんです。(寮で生活してたのでやりとりは基本メールでした。)
たしかこんな感じのやりとりでした。
私「部活なんだけど、テニス部かバレー部で悩んでるんだよね。どっちがいいと思う?」
母「ロボット部に入りなさい!」
私「ええ…でも運動したいし」
このとき、私は困ったことがあっても母親に相談するのはやめようと強く心に誓いました。
ただまあ、そんなに言うなら部活の見学ぐらいは行ってみるかと思い、ロボット部を訪れてみました。
私が訪れたその日は、新入部員勧誘のための部内ロボコン(部活内で競い合う大会)を行っていました。
ルールは単純明快で、相手のロボットを破壊して機能停止させるか、フィールドから押し出せば勝ちというものでした。
今思うと、ロボコンはそんな野蛮なことをするものではないのですが、何も知らなかった私はロボット同士がぶつかり合うその光景を見て、めちゃめちゃ楽しそうだと思ってしまいました。
そして、あっさり入部を決めました。
入部後
いよいよ私のロボコン生活が始まりました。
ロボット部に抱いた最初の印象は、変な人が多そうだなあというものでした。そもそも高専自体が変人の巣窟みたいなところはあるんですけど、まだ高専に染まってなかった私にとって、居心地はあまりよくなかったです。
あと、部室内では頻繁に旋盤やバンドソーといった工作機械の音が鳴り響いていて、そういうのにまだ慣れてなかったので死ぬほどうるせえと思ってました。
一応、ロボット部が部室として使っていた部屋は正確には部室ではなく、高専内の工場の一角を学生が自由に使えるスペースとして貸し出されているもので、ロボット部に限らず学生は自由に使うことができたんですけど、四六時中ロボット部が占拠していたので実質部室みたいになってました。
そんなこんなで、入部してからしばらくは常に辞めたいと思っていました。
正直なんも面白くなかったんですよね。
私はただロボット同士をぶつけ合いたいだけだったので、入部してからなんか勘違いしてたということに気づいちゃったんです。
4月末くらいにその年のNHKロボコンのルールが発表されるんですけど、私が入部した2013年はロボットで縄跳びをするルールでした。
縄跳びかぁ、なんか地味だな…ぐらいの感想でした。
競技の流れがなんとなく分かる動画のリンクを貼っておきます。
映ってるロボットは多分その年で最強だったと思います。
一年生は、基本的に先輩が書いた図面の通りにパーツを作ることが主な仕事でした。
ひたすら同じ作業を繰り返すだけだったのでとてもダルかったです。
正直な話マジで部活に行きたくなかったんですけど、サボったら先輩や同級生の視線が痛そうだったので、仕方なく部室に行き、パーツを1つだけ作って、後はダラダラしてるだけだった記憶があります。
夏休みに関しては、ほぼ毎日部活はあったんですけど、実家が遠くて通うための定期代が払えないみたいな言い訳を作って一日も行きませんでした。 (寮は長期休み期間中は閉鎖されていて、寮生は実家に戻されます。)
あのときはいつ辞めようかなとずっと考えていたと思います。
まあそんな感じで年末を迎え、その年のロボコンを終えました。
高専ロボコンは1つの学校から2チーム出場するんですけど、たしか結果は両方とも地区大会で一回戦敗退だったと思います。
私が入部した当時はなぜか暗黒期真っ只中で、基本的に大会では一回戦か二回戦で負けてました。
どれくらい弱かったかというと、競技が始まっても、スタートゾーンから一歩も出れずに終わるなんてことがざらにあるほどでした。
意味が分からないかもしれませんがマジでそれくらいヤバかったです。
ロボコンが終わって思い残すこともなかったんで退部しようと思ったんですけど、先輩から、
「三月に交流ロボコンって大会があって、それはめっちゃ楽しいぞ」
という情報を聞き、マジかと思ってとりあえずもう少し続けることにしました。
交流ロボコン2014
交流ロボコン(通称交ロボ)というのは、関東甲信越地区の学生が主体となって行うロボコンで、ルール等も運営の学生間で相談して決めていました。*1
私が初めて参加したその年のルールは「ジェンガ」でした。
通常のジェンガの五倍ぐらいのサイズのジェンガ(素材は発泡スチロール)がフィールドの中央に立っていて、それをお互いのチームが自由にロボットで抜き取って自分の陣地に運び、ポイントとして加算し競い合うというルールでしたが、これがかなり難しい課題でした。
やっぱり、ジェンガって精密な動作が求められるので、素人が作ったロボットにやらせること自体がかなり厳しいんですよね。
交流ロボコンは基本的にロボコンの経験が浅い1・2年生が参加するので、あまり技術力は高くなく、実際まともにジェンガをできたのは参加した25チームぐらいの中で5チーム程度しかいませんでした。
私も、ルールが発表されてから、どうすればちゃんとジェンガができるか考えて試行錯誤しながらロボットを製作していましたが、知識も経験も無に等しかったので全然上手くいきませんでした。
しかし、そこであることに気づいてしまいました。
実はこのルール、ジェンガ以外にも、フィールドにブロックがまき散らされていて、そのブロックを自分の陣地に運んでもポイントにすることができたんです。
さすがにジェンガよりもポイントは低く設定されているため、どのチームもジェンガのおまけ程度にしか考えていなかったのですが、私はフィールドのブロックを大量にかき集めてしまえばジェンガするよりも強いのでは?という発想に行き着きました。
そのとき既に大会まで一週間を切っていましたが、私はもうジェンガで勝てる兆しが見えないと判断し、さんざん試行錯誤を繰り返したジェンガのための機構をすべて解体して、ブロックをかき集めることに特化したロボットに作り変えてしまいました。
この判断は大当たりでした。
大会当日、色んなチームが苦心して作ったであろうロボットで慎重にジェンガをしている姿を横目に、ジェンガをすることを放棄したカス・ロボットで爆速でブロックをかき集め、余裕で勝利を重ねていきました。
この時はまじで気持ちよかったです。
私が初めて「ロボコンって楽しい!」と思った瞬間でした。
しかし、こんなルールを愚弄するかのような輩が現れるとは運営も思っていなかったのか、決勝トーナメントが始まる前に急遽ルール変更が発表されました。
それは、ジェンガを1つも運べていないチームは、たとえポイントで勝っていても相手がジェンガを1つでも運べていたら負けるというもので、私のロボットにとって致命的なものでした。(というか明らかに私のロボットを狙い撃ちしたものでした。)
このルール変更によって窮地に立たされましたが、まだ抗う方法はありました。
まず、試合が始まったらフィールドのブロックを素早くかき集めてポイントを稼ぎます。
そして、余った時間は相手がジェンガを運ぶのをひたすら妨害して時間を稼ぐという作戦でした。
正直あまりにも外道すぎて本当にひどいんですけど、もうそうするしかなかったんですよね。
だってジェンガできないですし。。。
この戦法も結構強く、明らかに私を潰しに来た運営の目論見を余所に、ベスト8まで勝ち進みました。
(余談ですが、この戦法を見た実況の方に「いや~~ゲスいですねえ!」と実況され、この日から私のあだ名は「ゲスさん」となってしまいました。今でもそう呼ばれています。)
しかし、この戦法もさすがに限界があり、ちゃんとジェンガができる優秀なチームに負けてしまいました。相手は同じ高専の同級生でした。
ただ、一年生でベスト8まで進めたのは結構優秀な部類で、私としては満足していました。ルール変更が無ければもっと勝ててたと思うとあれですけど
競技以外でも、他の高専の方々と交流ができたり、夜中に宿でスマブラをしたりできて本当に楽しい大会でした。
ロボットのクオリティが低レベルでも、ルールの穴を突けばなんやかんやで勝てる!
そんなおかしな自信をつけた私は、すっかりロボコンにハマってしまいました。
ただまあ、細かいことはどうであれ、NHKロボコンが終わった時点で辞めそうだった僕にロボコンの楽しさを教えてくれた交ロボには本当に感謝しています。
2年目以降はまた今度。